#003【 坪内 知佳 】萩大島船団丸 代表(株式会社 GHIBLI代表取締役)::: その1 :::

たまたま行った先の萩で「日本の海と食の未来を継ぐ!」夢が見つかった。

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24歳の専業主婦が、萩大島で漁業をやっている?
それも3つの船団の代表?!なぜ?知りたい!

私が初めて彼女の存在を知った時、そんな好奇心ととてつもないワクワク感を感じました。全国各地を講演やコンサルで飛び回り、テレビや新聞・雑誌の取材もあまたでスーパー忙しいであろう彼女にダメ元で連絡したら、何故かスムーズに某企業のお仕事で取材させて頂くことになったのが2年半前。

それ以来コンタクトをとっていなかったにも関わらず、『うぐいす新聞』の取材依頼で連絡したら、彼女はしっかり私も記事も覚えていただけでなく、なんと「『うぐいす新聞』で取材して欲しかった!」とおっしゃる。プロセスなく、即、話が決まりました。

「不思議なくらいのフィーリングのよさ。そして、めっちゃアツい人だなあ!」この時点から、私は楽しく知佳さん台風に引き込まれていました。

萩大島で創業から7年目で31歳になった知佳さん。今年は『カンブリア宮殿』の出演が話題になったり、9月21日には著書『荒くれ漁師をたばねる力が出版されたりと、どんどん次のステージに向かってます。

一体、坪内 知佳は、どんな成分でできあがってるのか?
萩出身でも、漁業出身でもない彼女が、なぜ日本の海の未来を守ろうと夢見るようになったのか?そして、いち女性、いち母親としての彼女の人生は?

ここだけの坪内知佳さんをお読みください。


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船団の漁師たちと。

- 「漁師の未来を考える手伝いをしてもらえないか?」に「いいよ!」と答えた。

うぐいす新聞 梅澤(以下、U):萩で漁業のお仕事を始めたキッカケを教えてください。

坪内 知佳(以下T):萩大島船団丸の代表に就任したのが2011年の24歳の時。今、私は31歳で7年目です。

当時、3つの船団から「魚が獲れなくなってきてる。このままでは、漁師は生きていけない。考えるのやパソコンが得意なら、わしらの新しい未来を考える手伝いをしてもらえないか?」という依頼を「いいよ!」と受けたことから、この仕事をスタートしました。

最初は「コンサル」として、萩大島で獲れるの高いをブランド化して直接客に届ける「6次化」の事業計画を書きました。

鮮魚を船上で箱詰めし直接販売する「鮮魚BOX」と、高級干物「船上一夜干し」と「寒風一夜干し」の製造・販売の計画です。

※註 6次産業化とは、生産者が生産だけではなく、製造・加工(第2次産業)や、流通・販売(第3次産業)まで一貫して行う施策。農林水産省で認定事業者を受け付けている。

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– たまたま結婚で行った萩で見つけたライフワーク。

U:知佳さんは、福井の出身で、萩はたまたま行った先だというのも面白いご縁ですよね。

Tそうですね。初めてお会いした方には「家が萩なんですか?」とか「漁業をやられてたんですか?」とか聞かれますが、両方とも違います(笑)

たまたまお嫁に行った先が山口の萩で、離婚をした後に、そのまま居ついただけなんです。

船団の依頼を受けてから、事業計画のために1年間リサーチを続けるうちに、萩の素朴で豊かな生活と、一方で漁師が持ってる不満を知りました。

それが、私が小さい頃から感じてきた世の中への疑問や、母として子どもの未来を守りたいという思いと重なって、自分のライフワークになったんです。

– 小さい頃から化学物質過敏症だったから、萩の鮮魚は素晴らしい宝に感じた。

U:知佳さんがかねがね感じてきた思いと、萩で知った現状が重なって、新しい未来を紡ぐお仕事が始まったんですね。知佳さんにとって、萩の海と魚のどんな点が魅力的だったんですか?

T私は小さい頃から化学物質過敏症でした。

自分だけ給食が食べられなかったし、今でも気をつけて食を選んでも倒れることすらあるんです。だから、萩の新鮮で安全で美味しい鮮魚は、私にとっては素晴らしい宝に感じた。

私はたまたま行った先だけど、子どもにとっては故郷となった萩で、この美しい海と生活を50年後も守りたい。萩大島の漁業を考える事を通して、ふつふつとそんな事が湧いてきて、私のビジョンと希望が生まれたんです。

Q: 知佳さん、萩で漁がある時の1日を教えてください。

A:

2:00AM・・1回目のせり

4:30AM・・・2回目のせり

5:30AM・・・梱包作業と出荷

9:00AM・・・当日の出荷完了

10:00AM・・・納品書・請求書の作業を確認・指示

11:00AM – 1:00PM・・・大島の視察ツアーのお客さんの受け入れ。

1:00PM・・・漁師たちと漁の打ち合わせ

3:00PM・・・漁の送り出し、雑務、休憩

5:00PM・・・晩御飯の準備、息子を迎えにいって塾へ送り出し

7:00PM・・・息子とお風呂入ってお話。そのあとに息子就寝

10:00PM・・・自分の時間。飲食店さんのお客さんと電話でやりとり

0:00AM・・・ウトッと寝る

1:00AM・・・起床

漁は年間60日〜70日です。漁のない日は6時半に起きて、こどもを送り出して、事務作業です。月の半分は出張に出て全国で講演会や、船団丸の事業の水平展開として顧問コンサルをしてます。

 

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これがないと仕事ができない!漁師の制服であるゴムズボン。

– 未来に継いでいく仕事をしてる理由。

T私は、何千年・何億年っていう「時間軸」のほんの一端を生きてる感覚があります。先人に今までを継いでもらったから我々がいるし、自分たちも継いでいかなくちゃけない。

だとしたら、自分のできるキャパの中で1人1人ができることしないと世の中は成立しない。誰かやるからいいでしょうにはならない。そういう意識で生きて仕事してます。

これも1つの偏った見方かもしれないですが、私の視点はそっちがベースです。それは世の中に対する私なりの「クエスチョン」でもあるんです。

消費型の「今の自分さえ、良ければ」の生活は、自分たちの子どもや孫を苦しめますよね。「今」は、これまでの行いが創ってる。なら何故、「未来」のために「今」を変えないんでしょうか?

– 親の求める「普通」ではなく、自分の思いを活かしてもいいのかも?と思った。

Uそれは、いつ頃から感じていた疑問なんでしょうか?

T3歳くらいの頃から、世の中に対してずっとありました。バブルを引っ張ってきた大人たちが、高級車を毎年乗り換えて栄えるのも見てたし、その後に経済とともに砕け散った姿も見てきて違和感がありました。

リーマンショックの頃まで、私は「親が正しい」という前提で、親の求める「普通」の「まとも」な「女の子」を生きようとしてきたんです。でも、世の中で起こってることを目の当たりにして、ひょっとして、私が胸に秘めてる疑問って「活かしても良いのかも?」と、その頃、初めて思ったんですね。

そこが、私の人生の1つめのターニングポイントでした。でも、その時は、すぐに自分のビジョンにはいきつかなかったです。

当時の私は某エアラインのCAを目指して一直線だったんですが、キャリアを手に入れてく自分には、やっぱり「クエスチョン」でした。親が「玉の輿に乗るのが正しい」って言ってたから、そのためにCAになれって言われてなりつつあるけど、どうなんだろう?」って。

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– 「カモメ」になって、空を飛んで好きなところに行きたかった。

U知佳さんの原点にある小さい頃持っていた思いについて、もう少し聞かせてください。小さい頃に、なりたかったものはありましたか?

T私は3歳の時「カモメさん」になりたかったんです!カモメは、空を飛んで好きなところに行ける自由なイメージでした。

だけど、そんな事を聞いたら、母親が驚いちゃうし、その時は「みんなが素晴らしいっていう知佳ちゃん」でいなくちゃいけないって思ってたから、「大きくなったら、お花屋さんになりたいです」みたいなこと言ってたのね(笑)

Uそういう時代もあったんですね。今からは想像つかないですね(笑)

Tその後は、船乗りか飛行機のパイロットになって世界中を飛び回りたい!って思った。

だけど、母親に「ダメよ。あなたは虫歯があるし目が悪いし、女の子だから無理」って言われて、女の子ならなれるものとして目指したのがCAだったんですよね。

– 「CA」を目指して、一直線だった時代。

UCAを目指す!と決められてからは、どのような道を歩まれたんですか?

TCAを目指して、小中高と寝る間も惜しんで、ひたすら勉強しました。「高校行ったら絶対留学するぞ!」って思ってたのに、うちの父親は「海外留学なんか許さん!」って反対してた。それを振り切って祖母にサポートしてもらいオーストラリアに行きました。

そこで英語を会得して、志望してた某エアラインの人事部長さんが教授でいる名古屋外大の外国部学部に入って、その先生の授業だけ受けてすべてAプラスでした。さらに、研究室の前をうろちょろして、アピールして(笑)。望んでたエアラインのインターン募集にも通って、着々と自分の道を固めていた。

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– やりたくてやってきたのに、満たされない。全てをリセットした。

U目指すもの一直線なのは、今と同じですね。でも、知佳さんが望んでいる道ではなかったんですね。そう気づかれたのは、どんな経緯だったんですか?

Tそうですね。「これだけをやりたくてやってきたはずなのに、なんか違うんだよなあ。私、全然満たされないな」って思って、現実逃避でバンクーバーに行ったんです。

そうしたら、熱が下がんなくなって寝込む日々で、腫瘍ができてることが判明した。「これは、マズイな」と思って帰国したんです。

そして、「このまま一度すべてご破算しよう」と思って、自分が固めていた道をすべてを蹴ってみた。大学を中退してすべてをリセットして、当時萩にいたボーイフレンドの元に行き、結婚しました。

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萩は晴れてる日も多く「那覇に勝るとも劣らない美しい海!」と知佳さんは言う。

– 何も持ってなかったけど、なんでもできる!って思った。 

T「人が生きるとは、どういうことだろう?」とずっと疑問に思って私が、これまで継いできたものを未来に継ごう!と自分なりの「時間軸」とビジョンにたどり着いたのが萩でした。

明治維新発祥のロマンがあるいい街で、結婚して、子供も生まれて、私にはいい人生が待ってるはずだったんです。だけど、夫婦仲はうまくいきませんでした。そこで、子供1人抱えて、離婚して、またリセットすることになった。

Uその時、どういう風に感じましたか?

Tその時が、今の私にいたる本格的なターニングポイントだったんです。

側から見たら、私は、大学中退、離婚、シングルマザー。家賃は2万3,000円。何も持ってない!でも私は「さあ、これからどうしようかな?私、なんでもできるわ!」って思いました。

Uこれまでインタビューしたきた方も、「本当にリセットした時こそ “なんでもできる!”という気持ちになる」というお話をされてます。持ってるものに執着があると難しく感じるんですが、本当に自分にとって必要ないものが祓われるから、創造する力が湧いてくるそうです。

– テーブルの上にPCを広げっぱなしで、子育ての合間に仕事をした。

Uその後は、どうされたんですか?

Tまずは、名古屋外大でお世話になっていた教授に片っ端から電話かけて、「翻訳事務所を設立しました。1時間800円ぐらいでいいから、仕事をください!」って、メールでじゃんじゃん仕事を集めました。

当時は、食卓テーブルの上にずっとPCを広げっぱなし。子供が寝てる間、ご飯を食べてる間、手が離れてる間の隙間で翻訳をして、足りない分は調剤薬局でパートをして、子育てと仕事を両立してました。そうやって、だんだん生活は安定していきました。

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漁師たちと一緒に。

– 萩でヒアリングをして気づいた「誰かが繁栄したら、誰かが枯渇する」という矛盾。

Tそんな中、萩大島の船団長たちと出会う機会があって事業計画を書き始めた。それが、最初にお話した流れですね。でも、1年間、地元でヒアリングしていく内に、「6次産業化」の制度の矛盾に気づいたんです。

Uどういう矛盾ですか?

T萩大島と萩の漁師は、同じ萩市ですが、互いに微妙なパワーバランスや意見の違いがありました。たとえば、萩大島が大漁だと萩市の魚の単価が下がるので嫌がられます。萩大島の「まき網漁」は海の魚を大量に獲るとうことで偏見も持たれてましたが、「まき網漁」は、萩萩の市場の約66%を占めていて、手数料や納税でも貢献していました。

それを無視して、一方だけが繁栄しても、一方は枯渇する。それは「地方創生」でもなんでもない矛盾ですよね。

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萩で獲れる魚はさまざま。

– 地元のみんなが繁栄するビジョンが生まれた。

Tそこで、うち流の「地方に合ったモデル」を書いてみよう!ってなった。

それが「アジとサバは従来通り萩の市場に出荷して地元の仲合さんにも、漁協さんにも、従来どおりの手数料を落とし続ける。自分たちは、混ざって獲れるスズキやイサキの混獲魚を “鮮魚ボックス” として直出荷したら、地元の潤う仕組みと本当の地方創生ができる!」という案です。それが通って、幸運にも認定事業者第1号になれました。

ところが、創業当時は2011年3月11日に東日本大震災が起きてますから、船団長たちは気持ちの燃料が尽きちゃってて、「もうやれない!」ってなってたんです。

– 日本の水産の未来を変えていく!復興支援として始まった事業。

U肝心の漁師のみなさんのモチベーションが落ちてたんですね。それに対しては、どうされたんですか?

T「東北の浜の漁師たちは、浜が流れてしまって、あなたたち以上に俺たちどうなるの?って絶望してる。漁業者であるあなたたちが、”お前たち大丈夫だよ、やれるよ“ って言ってあげればいいじゃない!」ってハッパをかけました。

彼らは「前例がないから…」って躊躇してましたけど、「前例がないっていったら、日本中の漁師たちができない。前例を作ればいいじゃない!」ってまたゲキを飛ばして、「じゃあ、やってみようか」って運命共同体がスタートしたんです。

私たちは、当時から「日本の水産の未来は、自分たちが抱えていく!」ってロマンを語ってました。事業ですからそれに必要なそろばんも弾きますけど、この事業は何よりも復興支援として始まったんです。

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漁師たちの道具。

– 漁師たちとバトルした6年間。 

U:その後、スタートしてからの話が、これまた波乱万丈で面白いですよね。知佳さんは、この本当の現場のところをやってきてるから、説得力が半端ないです。

T始めてみたら、そこからが「いばらの道」でしたね(笑)漁師たちは「今日は寒いから、出荷やめよう」とか「こんな仕事は自分の仕事じゃない!」と言い出す訳です(笑)

「普通」にがんじらめになってるから、漁業が大変なことになってる訳なので、こっちはそれを怒鳴りつけるんですけど、向こうからしたら「小娘が」「よそから来たくせに」「偉そうに」ですし、とっくみあいの喧嘩はザラ。

「天使に見えたのに、悪魔になった」と後から話す船団長もいました(笑)社員が辞めていったことも、漁師から閉め出されたこともあります。

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漁のための網を編む漁師たち。

– 夢を同じくできる仲間のことを大切にしてるから、喧嘩もしたし、絶対やれる!と思った。

U:その機動力になってたのは、ともに未来を創るという夢ですか?

Tそうです。同じ夢を見る仲間として水産の未来を創るためだから、やった。

この6年、漁師との激しいバトルをしていく中で信頼関係もできたし、みんなの意識が変わって事業モデルを水平展開するまでになりました。その成果がどうやって成されたかを一区切りとしてまとめて記したのが、拙著『荒くれ漁師をたばねる力(朝日新聞出版)』(2017年9月20日発売)です。 

色々ありましたが、3年積み重ね、5年積み重ね、今があります。

Uお話を伺っていると、周りが求める「普通」や「まとも」な「女の子」をやめて、小さい頃に抱えてきた思いを、そのまま事業として形にされたんですね。それが、漁師たちや漁業と共にどんどん育って形が変わってきてる。

Tそうなんです。「私」にとっては「手段」は何でも良かった。それがたまたま萩だった、鮮魚だった、地方だった。

そして、そこで出会った夢や、夢を同じくできる仲間のことを大切にしてるから、喧嘩もしたし、怖くもなかったし、「絶対、なんかやれる」って思ってたんですよね。

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『荒くれ漁師をたばねる力(朝日新聞出版)』(2017年9月20日発売)

::: 読者からの質問コーナー :::

Q: 私が何をしたら才能を発揮できるかわかりません。自分が喜べて誰かに役立つ仕事につくために、一歩進めそうなアドバイスがあったら教えてください。

A:

経済学部の学者さんからも同じ質問をされました。「どうやったら、皆さんのためになるビジネスモデルを描けるでしょうか?」って。

「地球や人類の長い時間軸の中で今・自分が生かされてる中で、私は何を全うするのか?」っていう発想転換をしてはいかがでしょうか?

何故かというと、人が欲しがってるものって、時や場所によって違うからなんです。

モノづくりとして「こう組み立てて、こうすればいいよ」という普遍的なロジックはあると思うんですが、対人ビジネスをする場合、世間では「ここがど真ん中です」「これが平均です」という答えはないです。だから、「これがビジネスモデルで、人の役に立ちます」とは、一概に決めれないと私は思うんですよ。

つまり「誰のために、自分がいつ・どこで・何をしたいのか?」っていうのを軸に組み立てる必要がある。そうすると「自分が何をするべきなのか」とか「何をしたら、相手のためになるのか」って、自ずとすぐ出てきます。

うちの事業でもそうなんですけど、「誰かのためにやってあげた」って意識で誰かのために光を照らすと、必ず反対側に影が生まれる。押せば、誰かが押される。引けば、広がる。

「これが自分の力で、こう発揮するんだ」と決めつけると無理が出るから、常に状況が変わる中でその時に置かれたところで何がベターチョイスとしてできるか?マルかバツかだけじゃなくて、自由度を高く色んな形を創造していく。

相手も自分も生き物である以上、刻一刻自分も変わっていくっていうのが大事だと思う。今日は水を入れるのが大事かもしれないし、明日は水を抜くのが大事かもしれない。 そうやって1日、1日を着実に生きてくことが大事なんじゃないかな?

「その2」に続く>

*記事内の写真は、一部を除いて坪内 知佳さんご本人からご提供いただきました。

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坪内 知佳 / CHIKA TSUBOUCHI

1986年福井県生まれ。萩大島船団丸代表(株式会社GHIBLI 代表取締役)。大学中退後、翻訳事務所を立ち上げ、企業を対象にした翻訳とコンサルティング業務に従事。

結婚を機に山口県萩市に移住し、2011年に3船団からなる合同会社「萩大島船団丸」の代表に就任。魚の販売先を開拓する営業、商品管理と配送業務をまとめあげ、萩大島から6次産業化事業を牽引している。2014年に株式会社GHIBLIとして法人化。同年ウーマン・オブ・ザ・イヤー キャリアクリエイト部門を受賞。萩大島のビジネスモデルを全国に水平展開することを目指して奮闘中。1児の母。

2017年9月20日に著書『 荒くれ漁師をたばねる力 – ど素人だった24歳の専業主婦が業界に革命を起こした話 』(朝日新聞出版)を上梓した。


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