#002【新美 文栄】『 LiniE リニエ 』ジュエリー・デザイナー ::: その1:::
天然石に出会っちゃって「私がこれをジュエリーにしたい!」って強く思った!
彼女は男女ともに友人が多い。 若い頃からストリートカルチャーのど真ん中にいて、 研ぎ澄まされた感性が抜群だけど、 とってもチャーミング。 自然体で飾らない人格は、 みなから愛され尊敬されている。
彼女の送り出す ジュエリーもとびきり美しい。
天然石ジュエリーブランド『 LiniE リニエ 』の オーナー & デザイナーの 新美文栄さんです。
サシで深く話したのはこれが初めてでしたが、 もう最初から最後まで腹を割ったぶっちゃけバナシに 終始大爆笑しながら、 おそろしく直感を頭脳的につかって 体験を重ねてきた人生に感心することこの上なし。
きっとね、あなたも彼女の話きいてたら、 色々小難しく考えずに動き出したくなりますよ!
どうぞお読みください。
-家族全員反対だったから、もう「出るね」って、振り切って東京に来ちゃった。
うぐいす新聞 梅澤(以下、U):ジュエリーを創り始めたきっかけを教えてもらえるかな?
新美 文栄(以下F):大学卒業するギリギリになって、彫金がやりたくて先生に相談しに行ったら「遅いよ!もっと早く言え!」って言われて。なぜかフラックスっていう金属と金属をつなげる粉をくれたんだよね(笑)
卒業後グラフィックデザイナーとして就職した後、しばらくして実家の事業で弟とスノーボード&スケートショップ『 SIDECAR 』ってお店を始めたから、彫金からは遠のいてました。
それが落ち着いてきた頃に「そうだ、私、彫金やりたかったんだ!」とその粉を思い出して、町の彫金教室に行ったの。好きだったインディアンジュエリーのショップの2階でやってて、仕事終わったら、OLさんとか来るような所だった。
U:やろうと思ったら、なんでもどっからでもスタートできるね!
F:うん。20年位前だし、名古屋だし、働いてるから専門学校も行けないし。とにかく彫金をやるためだったら、別にどこでもよかった。
U:そこから、ジュエリーを創るために東京に出てきたんだよね。
F:そうです。私は彫金を始めてから「やっぱり、デザインとかクリエイティブの仕事をしたい!」ってなった。それには「うちの地元(愛知県・刈谷市)にいちゃだめだ!」ということで、家出したの(笑)
U:えっ!家出?!(笑)いくつの時に?
F:28歳のとき(笑)。家族全員反対だったから、もう「出るね」って、振り切って東京に来ちゃった。父は「弟とやる店もお金も与えてやってるのに、どういうことだ?」だし、弟も「1人でやれるわけないじゃん!」ってなってた。話し合っても話にならないから、書き置きもせずに、無理くり出てきちゃった!携帯も全く出ずに「消息不明」みたいな。ひどいでしょう?(笑)
“Ben Harper – Welcome to the Cruel World SIDECARを始めた頃によく聞いていた。1人でLIVEに行く程、好き。 特に初期。(新美 文栄)”
-来た以上はやらなくちゃいけない。友達が「100件営業しろ!」ってお尻を叩いてくれた。
F:実はね、東京に出てくる時にね、「そんなにやりたいことあるなら、東京出てきちゃいなよ。うちに居候すればいいじゃん。」って言ってくれたのが、ここのお店(註:当日の取材場所)『 8ablish 』の2人だったの。だからそこは素直に「わかった!行く!」ってなった。
U:そういう友達がいるのはありがたいし、素直に受け止めた行動力もすばらしいね。その後は、どうしたの?読者の方で「好きな仕事をしたい!」「表現したい!」って思ってる方は、この辺の具体的なことが聞きたいかなあ、と思います。
F:来た以上は、やらなきゃいけなくなってるでしょう。だから、すぐブランドは立ち上げた。『 fadismファディズム 』というユニセックスのシルバー・ジュエリーブランド。
展示会に出したら、何件かお声がかかって脈はあったんだけど、実際の仕事にはなってなかった。そしたら、また『 8ablish 』の川村さんが「100件営業しろ!うちにきた以上、これで何もなくて家に帰るわけにはいかないじゃん!」ってお尻を叩いてくれた。
彼女らは当時グラフィックデザイナーだったから、そのアシスタントをやりながら、自分のブランドの営業をしたの。100件を雑誌で調べて、資料を送って「見てください!」って体当たりした。

-ある日、お財布覗いたら100円すらなくてジュースが買えなかった。さすがに「ヤバい!」と(笑)
F:そしたら、2件だけ見てくれることになった。その内の1件がメンズのアパレルのブランドで「展示会を一緒にやろう」って言ってくれて、いきなりオーダーくれたの(笑)
U:すごい!これまた素直にその「100件」を受け入れてひたすらやった!
F:いや、もうやるしかないよね(笑)お金も何もなかったから。ある日、お財布覗いたら、港区で100円すらなくてジュースも買えなかったんだよ!(笑)さすがに「ヤバイ!これは本気でやらないと、ご飯が食べられないってこういうことだ…。」って気が引き締まった。
その頃は営業のやり方も全くわからなかったから「とにかく100件やるか!」って、そこから始めてみた。今思うと、めちゃくちゃだよね(笑)
U:そうやって広がっていったの?
F:うん。その内そこで生活できるようになった。そしたら、親にも話せるようになるじゃない?実際お金もこれだけあるよ。って見せたら、「じゃあそっちでやれば?」って言ってもらえた。そうやって8年間『 fadism ファディズム 』をやっていました。

-「自分が40代50代になった時に身につけたいものを創りたい!」心機一転で『 LiniE リニエ 』を始めた。
U:家出も、結果オーライになった(笑)ゼロから始めても「達成する」って決めてやったら、そうなっていくもんだという良い例だね。そこから、さらにどう転じて『 LiniE リニエ 』をスタートしたか教えてもらえますか?
F:私自身が30歳半ばにさしかかった時に、「自分が40代、50代になったときに身につけたいものを創りたい」ってなったんだよね。そうなると「ゴールドで、ずっと使えるもの」が良かった。それで、一回ガツッと本腰を入れてやってみよう!と心機一転で始めたのが『 LiniE リニエ 』でした。
U:8年継続していたブランドをたたんで新しくスタートし直すって、潔い決断だね。
F:『 fadism ファディズム 』は、アーティスティックで自己表現すぎたし、素材もいろんなもの使うから、整理したくなったんだよね。
仕事として考えた時も、そこそこ売れて生活はできるけど、「じゃあ、私が40歳とか50歳になった時にそのブランドで食えるか?」って思ったら、ちょっと無理だと思ったから、もっと長いスパンでこの先も自分が関われるようなスタイルにしたかった。だからもう一度ゼロからブランドを創ったの。
U:1度ブランドを立ち上げてると何が必要なのかの基本は分かってる状態だから、前の経験も活かせるしね。
F:うん。例えば、展示会用にラインの作り方とか見せ方とかは分かってた。でも、そういう基本がありつつも、ブランド名も変えて、ターゲットも変えて、素材も変えて、売り方も変えて、価格帯も変えた。後はもう分からなすぎたし、もうワンステップ広げていきたかったから、人の手も借りようって思ってコンサルにも入ってもらってました。
-自分のために行ったツーソンで天然石に出会っちゃって「これをジュエリーにしたい!」って思った。
U:今では『 LiniE リニエ 』のシグネチャーである「内包物が入ってる天然石」のジュエリーを始めたのが、さらにブランド設立して6年目(2012年)だよね。これも流れの中で起こった出会いなのかしら?
F:実はその前は、全く石には興味がなかったの!
ブランドも6年経つと転機になるじゃない?「今までやったことない事なかったかなあ?」って考えたときに、『ツーソンジェムショウ』っていうジュエリー業界では誰もが一回は行ってみたいって思う有名な石のトレードショウに「そういえば行きたかった!」って、思い出した。
商品を作る目的じゃなくて、自分の人生のために、行ってみたいところに行ってみよう!って。で、行ったら天然石に出会っちゃった。「何これ?!ヤバイ!」って、なって、そこからまた急に石ものでガーってやりだした。
U:転機には「そういえば、これがしたかった!」って欲求がバーンって出てくるんだね。面白い。『ツーソン』行った時に、最初から石は買い付けしたの?
F:した!行ったらもう買わざるを得なくなって「作りたい!」ってなっちゃったんだよね。本当に久しぶりの衝撃だったから。
素材で衝撃を受けるってそんなにないじゃない?例えばゴールドだと、自分が作りたいものが先にあったら、ゴールドのほうが動いてくれるから、それを「どう形にする?」っていう考え方になる。天然石は「素材ありき」だから、今度は「自分がそれにどう合わせる?」になる。
全く頭の使い方が変わるんだけど、そこにハマって好きになっちゃったんだよね。
U:どんなところに一番ビビッ!と惹かれたの?
F:「こんな石が世の中にあるんだ!」って衝撃かな。宝飾業界では、「石って混じり物があったらいけなくて、クリアでキラキラじゃなくてはいけない。」って勝手に思い込んでたんだけど、そこで出会った石は全く違って、中に混合物が入ってることこそが自然で美しい!宝石の価値とは違うけど、それが私には「全部違って、パンクでかっこいい!」って強く思えた。だから「私がこれをジュエリーにしたい!」って強く思ったの。
-つけた人が「モチベーションがあがった」とか、その人自身が引き立つことを聞いた方が嬉しいって思った。
U:実際やってみてどうだった?すんなり作りたいものが作れた?
F:最初はやっぱり難しかったよ。ツーソンで買付けた天然石は大きさもバラバラだし、1つ1つ型でなく作る生産の金額も分からないから、どのくらいの価格で仕上がるかも予想つかない。だから、全部ゼロからのスタート。やってみて、見積もりとってみて、世の中で売れてやれるところでいけるか?とか、いろいろと試行錯誤をした。
今はそこから丸4年・9シーズンをやったところ。前は石をどう引き立ててればいいか?みたいなことを考えてたんだけど、今度はそこに石を引き立てつつ、自分のテイストをどう融合させるか?というのがしたくなってきてるところ。
U:モノをつくる人って最初に表現したい!っていうのがあるじゃない?そことお客様とのバランスって、どういう感じでやってきたの?
F:最初のブランドでは、私もアーティストへの憧れがあって、自分の表現をしたい!ってやってきたんだけどね、それは自己満足だから多くの人には受け入れられないんだな。って分かった。
だから、『 LiniE リニエ』をはじめたときに「線」っていう意味をこめて「人をつなげよう」ってシフトしたときに、「ジュエリーだし、身につけてもらうものだから、自己表現だけではないよな。」と意識した。
自分も「どっちが嬉しいの?」ってなったときに、自分が表現したものを受け入れてもらって「このデザインすごいね」って言われるのも嬉しいけど、それ以上に、つけた人が「嬉しい」とか、「人生が良くなった」とか、「モチベーションがあがった」とか、その人自身が引き立つことを聞いた方が嬉しいって思った。
だから、自分が自分がっていうより、自分のクリエーションが活用してもらえるなら、そっちの方が素敵だし嬉しいな、って!
「その2」を読む>
*記事内の写真は、クレジットがあるもの以外、すべて新美さんご本人からご提供いただきました。
*取材協力:『 8ablish 』
新美 文栄 / Fumie Niimi
女子美術大学卒業後、グラフィックデザイナーの傍ら独学でジュエリーを学び、2006年にオリジナルブランド『 LiniE リニエ 』を立ち上げる。スノーボードやサーフィンで国内外各地を訪れ、自然に触れていく中で石や鉱物の持つスピリチュアルなエネルギーや美しさに魅せられる。定期的にアリゾナのセドナを訪れ、 一つ一つ天然石を吟味し、ファッション性と自然のダイナミズムが共存するジュエリーを発表している。
『 LiniE リニエ 』 ▼HP ▼ブログ ▼instagram
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